盆栽



つんつくつくつくつん♪(伊東しろー)


新年あけましておめでとーございます。
すでに1月も後半も後半ですが、
今年もなにとぞなにゆえどうぞヨロシクおねがいしまっす、マッス・・・


と、いうわけで(どんなわけ)、
早速、新年いっぱつめの茉莉枝のかあいいだけぢゃない子、
ご紹介いたします!


こちらのお写真・・・
日本人なら誰もが一目でわかる
その名も由緒正しき


Uめ∀めU{THE 盆栽 !!!


この盆栽は「冬至梅」という梅の木で、
いわゆるミニミニ盆栽ミニミニ長渕
少しだけ咲いている梅のお花がちょーいいかほりで、
私は毎日毎日、寒い朝の日でもベランダに出ては、
U^艸^U{くんくん。
お水あげて梅の木を眺めては、
ΨUめ∀めUΨ{「おめぇかあいいな(ハアハア)」
と話しかけ、
近所から野球ボールが飛んできやしないかとまわりを指差し確認。
U:´.:ё.`.:U{ 右みて左みてモウ1回みぎ!
嗚呼とにかくモウかあいすぎてしかたがない。
それが
U^艸^U{茉莉枝の梅の木(はあと)
私の2009年1番最初のお買い物なのでした。(わーいわーい)
ΨUめ∀めUΨ


そもそも私が「盆栽」に興味を持ったのは、
私の大好きな本の中に、
「盆栽のように美しく歪む」
という言葉を見つけたのがきっかけであります。


「うつくしくゆがむ」


「歪む」という言葉は、
本来よい意味では使われませんよね。
「歪んだ社会」「歪んだ性格」
「歪んだあいじょー(オマエヲコロシテオレモシヌ!!)」ETCETC...
けれどもその本の中には「ゆがんでいること」に対して、
だいたい次のようなことが書かれていました。


音が歪めば音楽に、物がゆがめば芸術になる。
歪んでいるからこそそれらわ美しいのであって、
(ゆがみが美しさを生む!)
それは例えるならば「盆栽」である。
どれだけ盆栽にように、うつくしくゆがめるか、ということが、大切なのだ。
醜悪に歪むのでわなく健やかに。
盆栽のよおに。


盆栽のよおに・・・
らいくあぼんさい・・・(←特に意味ありません)
そのとき私は決めたのです!!


アタイ!盆栽ノヨウニ美シク歪ンダ乙女ニナリタイ・・・!


ふつう「盆栽」と聞いて誰もがぱっと頭に浮かぶのは、
きっと 松の木 の盆栽だとだと思うのです。
松の木が太陽のほうへ太陽のほうへと伸ばしてゆく枝に、
日本中の盆栽愛好家(波平)たちは、
ワイヤーかなにかで力を加え、
わざと自然に逆らった自分だけの歪みを作るのです。
そして、
その歪みを眺めながら、
松の木の後ろにある美しい景色を想像する。
「盆栽」というかたちで自分だけの小さな宇宙をベランダにつくり、
その宇宙を果てしなく広げるのです。


それって、
日本人独特の「ゆがみの美学」ですよね。
「ゆがみ」というものさえも美しくする。
日本人のこの感性ってとってもステキ過ぎ(はあと)。


そもそも私は以前から、
「盆栽」という言葉そのものになにか、
ざわざわするものを感じていたのです。
今思えばそのざわざわは、きっと
私の日本人としての血の中に刷り込まれていた、
「盆栽DNA」が呼び覚まされる音だったのです!!!


それなのに
ことあるごとに呼び覚まされる盆栽DNAを、
私は
U:め.:∀.め.:U{某乙女の「ふところ問題」
という諸事情を理由に、
いつも再び眠りにつかせていたのです。
(見栄えのよい本格的な松の木の盆栽ってお高いんですもの・・・)


だから正直言ってしばらく忘れてたんです。
私が盆栽をはぢめてみたいなあと思っていた、
あの日あの時のじょ〜ねつ。


ところが年明けの某日。
U^艸^U
私の目の前に、
突如として姿を現したのですよ!
小さな盆栽屋さんが。
「ぽんっ」て。
その不自然さはまるでフランス映画のような、
どこかコミカルな光景でした。


だってその盆栽屋さんが現れたのわ、
ナウなヤングたちで賑わう、
原宿の巨大なファッションモールのエントランスなのですもの。


Uめ∀めU{こんなところになぜに盆栽屋さん!


まるで私のためだけに現れたかのようなその盆栽屋さん。
U:め.:∀.め.:U{きっといまが盆栽始め(初め)どき!!


みんながお洋服の入ったお買い物袋を提げて
ニコニコ歩いている中、
私は片手に盆栽の入ったお買い物袋提げて、
たまに袋の中をそっとのぞいて。
にやにや含み笑いをしているのです(はっきしいってきもいんです)。


その後、盆栽屋さんはこつ然と姿を消してしまいました。
やっぱり夢だったのでわ?
とほっぺたをつねってみるも、
私の手元にはきちんとこの梅の木の盆栽は存在しているし、
モウ二度と会えないかもしれない店員さんの、
やさしい笑顔(営業スマイル)もやさしい言葉 (営業トーク)も、
やはり夢じゃなかったのでしょう。



私の梅の木はどんなに寒い朝でも、凛と、
かたちの良い幹を伸ばし、小さな梅の花を咲き誇っております。
U:め.:∀.め.:U{咲き誇れ〜愛しさよ〜♪


そして、その姿を見ると私も、
背筋がピン!と
茉莉枝の「枝」もぐん!と伸びるような
なんともすがすがしい気持ちになるのです(まぢで!)


そのすがすがしさは少し、
うれしいようなさみしいような何かがとても不安で、
でも期待に満ちているような、
それは私がまだ上京したばかりの18歳の春の頃の気持ちに似ているかも。
泥の付いたピン札を見て涙する純くんみたいな気持ち。
U^艸^U{父サンボクトーキョーでガンバリマス!


私が盆栽デビューを飾った冬至梅の木は、
ゆがみの調整などを必要とする盆栽ではないけれど、
次回はぜひとも「松の木の盆栽」に挑戦してみたいものです。
ゆがみの美学をかたちにしてみたい!


と、なると避けて通れない問題が
ふたたび私の目の前に現れるのでした。
某乙女の「ふところ問題」ですね。
この問題が解決を迎える日は来るのでしょうか・・・


NEO GREEN
http://www.neogreen.co.jp/